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【キングダム】楊端和は史実に実在した?活躍や最後を調査してみた!

【キングダム】楊端和は史実に実在した?活躍や最後を調査してみた!
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仮面をまとい、圧倒的なカリスマで山の民を率いる女王・楊端和。『キングダム』の中でも、その強さと美しさから特に人気の高いキャラクターです。

しかし、これほど魅力的な楊端和が史実に本当に存在した人物なのか、気になったことはありませんか?

本記事では、楊端和が実在したのかという疑問に答えつつ、史実の記録、作中でのすさまじい活躍、そしてファンが最も気になるであろう“最後”の描かれ方まで、詳細な史料をもとに解説します。

【史実】楊端和は実在したのか?

結論から言うと、『キングダム』に登場する「山の民の女王」としての楊端和は、作者である原泰久先生による創作上のキャラクターです。

彼女の象徴である仮面や、女性でありながら大軍を率いる設定は、物語を彩るフィクションの要素と言えます。

しかし、「楊端和」という名前の人物が全くの架空かというと、そうではありません。

実は、中国の正史である『史記』には、秦の将軍として活躍した同名の男性「楊端和(ようたんわ)」の記録が確かに存在します。

つまり、楊端和は実在した男性将軍であり、キングダムの楊端和は、その史実の人物から名前や時代設定を着想を得て、大胆にキャラクターを創造したと言えるでしょう。

史書『史記』に記された将軍・楊端和の功績

史実の楊端和は、始皇帝が中華統一を進める上で、重要な役割を担った実力ある将軍でした。その活躍は『史記』秦始皇本紀に、複数回にわたって記されています。

出典元:【キングダム】楊端和は実在したのか?

魏の衍氏を攻略(紀元前238年)

『史記』秦始皇本紀:「九年楊端和攻衍氏。」これは、始皇帝の治世9年目の記録です。この年、秦の国内では始皇帝の弟である成蟜の反乱や、偽物の宦官である「ろうあいの乱」が起こるなど、国情が不安定な時期でした。

そのような内乱の最中にあっても、楊端和は将軍として国外へ派遣され、敵国・魏の衍氏(えんし)という都市を攻略しています。これは、秦が国内問題を抱えながらも、対外的な拡張政策を滞りなく進めていたことを示す重要な記録です。

そして、その一大作戦を任された楊端和が、国から深く信頼された将軍であったことが伺えます。

王翦・桓齮と共に趙の鄴を攻略(紀元前236年)

『史記』秦始皇本紀:「十一年、王翦、桓齮、楊端和攻鄴、取九城。」始皇帝の治世11年、楊端和は秦が誇る最強クラスの将軍である王翦(おうせん)、そして桓齮(かんき)と共に、趙の重要拠点である鄴(ぎょう)を攻め、9つもの城を陥落させています。

王翦や桓齮は、中華統一において中心的な役割を果たした秦軍の最高司令官クラスの将軍です。

楊端和が彼らと名を連ね、共同作戦に従事したという事実は、楊端和が単なる一将軍ではなく、秦の正規軍に組み込まれた高位の将官であったことを証明しています。

個人的な考察では、王翦らを補佐する「末将」としての役割であったとされていますが、国の命運を左右する大戦に名を連ねる時点で、その実力が並外れていたことは間違いないと考えます。

趙の首都・邯鄲を包囲(紀元前229年)

『史記』秦始皇本紀:「十八年……端和將河內、圍邯鄲城。」始皇帝の治世18年、秦は趙を滅ぼすべく、総力を挙げた侵攻作戦を開始します。

この決定的な戦いにおいて、楊端和は「河内(かだい)」の兵を率い、趙の首都・邯鄲(かんたん)を直接包囲するという最重要任務を担っています。

この時、王翦軍が趙軍主力を引きつけている間に、別動隊である楊端和軍が手薄になった首都を急襲するという、高度に連携された大戦略が展開されました。

このように、史実の楊端和は、キングダムのキャラクターとは性別も背景も異なりますが、中華統一の激動の時代に確かな足跡を残した、紛れもない秦の名将であったことが分かります。

内乱の最中に行われた魏への侵攻(紀元前238年)

最初の記録である「楊端和攻衍氏」は、単なる一都市の攻略以上の意味を持ちます。レポートの考察にある通り、この年、秦の国内は激しく揺れていました。嬴政の母、趙姫の愛人である嫪毐(ろうあい)が大規模な反乱を起こし、嬴政の弟である成蟜(せいきょう)も秦に背くなど、まさに内憂外患の状態でした。

通常であれば、国を揺るがす内乱の鎮圧に全力を注ぐべき状況です。しかし、秦と嬴政は、国内の混乱を抑え込みながら、同時に国外への拡張政策を止めることはありませんでした。その対外強硬策の実行者として最前線に派遣され、魏の衍氏という重要拠点を陥落させたのが楊端和です。この功績は、彼の軍事能力の高さはもちろんのこと、秦が国内の危機管理と対外侵攻を両立できるほどの国力・組織力を持っていたことの証左でもあります。

秦の最強布陣の一角として(紀元前236年)

趙の鄴(ぎょう)を攻めた際の布陣は、楊端和の秦軍内での序列を明確に示しています。総大将格である王翦、そして同じく秦を代表する猛将・桓齮。彼らは中華統一の主役とも言える、当代きっての名将です。レポートでは楊端和を「末将」と考察していますが、これは最高司令官である王翦らに次ぐ高位の将官、という意味合いです。

国の命運を懸けた趙攻略の初手において、この最強のトライアングルの一角を担ったという事実。それは、楊端和が王翦や桓齮といった伝説的な将軍たちと緊密に連携し、複雑な共同作戦を遂行できるだけの、卓越した戦術眼と指揮能力を持っていたことを物語っています。

趙の心臓部を突いた最重要任務(紀元前229年)

趙の首都・邯鄲(かんたん)を包囲した際の「端和將河內、圍邯鄲城」という記述も極めて重要です。ここで注目すべきは「河内(かだい)の兵を率い」という部分です。これは、特定の地域の兵を動員する権限を与えられていたことを示唆し、彼が単独で一個軍団を編成・指揮できる、方面軍司令官クラスの将軍であった可能性を示します。

この作戦は、王翦軍が趙の主力軍を国境線で引きつけている隙に、楊端和の別動隊が手薄になった首都を電撃的に包囲するという、高度な戦略でした。敵国の首都を直接叩くという任務は、失敗が許されない、作戦の成否を分ける最重要の役割です。これを任されたという一点だけでも、楊端和が嬴政や秦国中枢から、いかに絶大な信頼を得ていたかがわかるのです。

楊端和が「山の民の女王」として描かれたのはなぜ?創作の背景を考察

史実では秦に仕える男性将軍だった楊端和。では、なぜ『キングダム』では、全く異なる背景を持つ「山の民の女王」として描かれているのでしょうか。

その創作の背景には、史実と物語の面白さを融合させる設定と思想が隠されていると考えられています。

「山の民」である理由

まず、「山の民」という設定です。史実においても、秦の西側には「西戎(せいじゅう)」と呼ばれる多様な民族が暮らしていました。

彼らは秦と常に関わりを持ち、時には敵対し、時には協力関係を結ぶなど、中華の歴史において無視できない存在でした。

この史実における“境界の民”という存在を、「山の民」という具体的で魅力的な集団に昇華させたと考えると、秦国だけでは描けない、よりダイナミックな世界の広がりを物語に与えることもできそうですよね。

作中で「女王」とした理由

次に、「女王」という設定については、屈強な男性たちが覇を競う古代戦争の世界において、女性が一個の勢力の頂点に立ち、大軍を率いるという設定は、斬新で読者の目を引きます。

彼女の存在は、物語に華やかさと多様性をもたらすだけでなく、「人の本質は生まれや性別ではなく、その魂の輝きにある」という『キングダム』の根底にあるテーマを象徴しているとも取れます。

また、嬴政と対等な「盟友」という関係性を描く上で、もし楊端和が秦の家臣であれば、二人の関係はあくまで主君と臣下になります。しかし、独立した王国の長であるからこそ、利害を超えた対等な絆を結び、友として中華統一という夢を共有するというドラマが生まれます。

このように、史実の「楊端和」という名と武功を借りながら、「山の民」「女王」という大胆なフィクションを掛け合わせることで、歴史のロマンを掻き立てる、キングダムならではの独創的なキャラクターが誕生したと言えるのではないでしょうか。

キングダムにおける楊端和の活躍

史実の男性将軍・楊端和の武功もさることながら、『キングダム』の女王・楊端和の活躍は、読者にも鮮烈な印象を与えています。

物語の序盤、弟・成蟜の反乱によって玉座を追われた嬴政に協力し、3000の山の民を率いて王都・咸陽を奪還。見事な奇襲で戦局を覆し、嬴政の窮地を救った場面は、彼女の初陣を華々しく飾っています。

大胆さと魅力あるキャラクター性

女性でありながら、秦国の「大将軍」にも匹敵する存在として描かれ、他の猛々しい将軍たちと肩を並べて戦う姿は、フィクションならではの大胆さと魅力のある個性的なキャラクターとなっています。

史実での楊端和の実在が男性であったという事実を知った上で彼女の活躍を見ると、物語にさらなる深みが生まれるのではないでしょうか。

楊端和の最期はどうなる?

2025年7月現在、『キングダム』本編で楊端和は今もなお活躍を続けており、死亡したり退場したりする描写は一切ありません。

中華統一へ向けた物語は最終局面へと向かっており、彼女は依然として最重要キャラクターの一人です。

一方で、史実における将軍・楊端和の記録は、前述した紀元前229年の「趙の首都・邯鄲包囲」を最後に、歴史上からぷっつりと姿を消してしまいます。その後の彼がどうなったのか、天寿を全うしたのか、あるいは戦で命を落としたのか、それを記す資料は存在していないようです。

【キングダム】今後の楊端和はどうなる?

史実で足取りが不明であるからこそ、『キングダム』における彼女の未来は、完全に作者の創作に委ねられています。これは、ファンにとって大きな楽しみでもあり、不安の種でもあります。

先の趙攻略戦では、多くの読者に愛された大将軍・桓騎 死亡という衝撃的な展開があり、主要キャラクターであっても死と隣り合わせであるという『キングダム』の厳しい世界観が更に浮き彫りになっています。

そのため、ファンの間では楊端和の今後について、

  • 「中華統一を見届けた後、静かに山の民のもとへ帰る」
  • 「信や嬴政を守るために壮絶な戦死を遂げる」
  • 「描かれずに物語が終わる」

など、さまざまな考察が飛び交っています。

まとめ

史実の将軍・楊端和が王翦や桓齮といった名だたる武将と共に中華統一に貢献した偉大な人物であったことを知ると、その名を継ぐキャラクターが作中で絶大な存在感を放っていることにも、納得感が得られたのではないでしょうか。

史実とフィクションが見事に織りなすこの世界で、彼女がどのような未来を迎え、どんな伝説を我々の心に残してくれるのか。今後の展開からますます目が離せませんね!

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